校長挨拶(学校だより「銀杏」第67号より)

あなたの種を蒔き続けなさい 中学 高等学校始業式 式辞より

「朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな。実を結ぶのはあれかこれか、それとも両方なのか、わからないのだから」
〔コへレトの言葉11章6節(口語訳では伝道の書)〕

今朝の聖書、「コへレトの言葉」は12章からなる、わずか15ページの書物です。書かれた時代や、誰が書いたのかについてはいろいろな説があるようです。おそらく、紀元前200年ごろ、書いた人は、エルサレムに住んでいた無名の人ではないかといわれています。
旧約聖書の中でも、少し変わった内容をもった書物です。
 というのは、全体に流れている考え、それは、「私たちの人生をよく観察してみると、筋道に反すること、不合理なこと、納得がいかないことに満ちているのだ」ということがずっと述べられているからです。
 例えば、「太陽の下に起こるすべてのことを見てみたが、どれも虚しく、まるで風を追うようなことばかりである」とか、「大きな事業を行い、豪華な家や庭園を作り、多くの富を手にしたが、それらはみな虚しいことであった」。さらには、「人間は、知恵を得れば得るほど、不安になる」とか、「人間の努力の原動力は、競争心と嫉妬心である」といったことも語られています。 このような後ろ向きな内容の言葉が、どうして「コへレトの言葉」として旧約聖書の中に入っているのでしょうか。それには2つの理由があるように思います。

一つは、その内容が、私たちの人生を正直にとらえているということ。
もう一つは、私たちが生きていく上での「人生の知恵」も語られているからだと思います。今朝の言葉もまさにその一つです。
 私たちの日々の生活の中には、「これをやって何の役に立つのか」「これは何の意味があるのか」としか思えないことがあります。気が進まなかったり、重い気持ちになってしまうこともあります。
 皆さんの身近なことで例えるならば、日々の学校生活。「これを勉強したからといって将来どういう意味があるのか」そんなことを考えると、「やる気が起こらない」、そんな気持ちになることはありませんか。あるいは、人間関係でも、友人や家族と心を合わせることがとても難しいと思うこともありますね。その気持ちが大きくなると、「努力してもしなくても同じ結果。ならば、今、これをすることに何の意味があるのか。ならば、そんなに一生懸命にすることはない。「すべてを投げ出したい」、そういう思いになってしまうこともあるでしょう。
そうした私たちに対して、今朝の「コへレトの言葉」は、大変わかりやすく、私たちを励ましてくれています。「朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな」とは、私たちの人生には、気が進まないことがあり、無駄にしか思えないこともある。しかし、それでも「人生というあなたの土地にあなたの種を蒔き続けなさい。朝に蒔き、夜も飽きることなく蒔き続けなさい」と語っています。
それは、「実を結ぶのはあれかこれか、それとも両方なのか、それは私たちには、どうにもわからないことなのだから」、というのです。どの種から実がなるか、それは誰にも分らない。しかし、明らかなことは、どれかからは必ず実がなるということです。ですから、たとえ途中で本当に実がなるのかと疑問に思う時があるかもしれないけれど、必ず、実がなると信じて、休むことなく、自分の種を蒔き続けるということなのです。
皆さんの生活で言えば、日々の授業はどうでしょうか。自分の得意な科目は気が進むけれど、苦手なものや、興味があまり持てない科目も勉強していますよね。しかし、今は関係がないとか、興味がないと思っていても、これからの皆さんの長い人生の中で、必要となることがあるかもしれません。皆さんの女子聖学院での日々の生活を通して、知らず知らずのうちに自分自身の中に種を蒔いているのです。ですから、今は無意味と思っても、目の前に与えられていることを、くじけずに、あきらめずに、一生懸命取り組み続けてみるということが大切なのです。また、先のことばかり心配せずに、いま与えられている課題、仕事に励むようにと、コへレトの言葉は私たちを励ましてくれています。
「コへレト」とは、「集会で語る者」という意味です。では、コへレトは人々に、そして私たちに向かって、何を語ろうとしているのでしょうか。
それは、この書の最後の章である、12章に出てきます。12章1節「青春の日々にこそ、お前の創造主(しゅ)に心を留めよ」という呼びかけです。(口語訳聖書では「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」)
そして、最後の最後、13節「すべて耳を傾けて得た結論。神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ、人間のすべて」という言葉です。
「若いうちに、万物の造り主なる神様を覚えなさい。なぜなら、人生で最も大切なことは、神を畏れる(敬う)ことだから」というのです。
そして、若い時に神様を知ることによって、蒔き続けた種が、いつかは必ず実を結ぶという約束を信じることができる、だからこそ、神様を信頼して、自分の種を蒔き続けることができるのです。
2015年度の前半が終わり、今日から後期が始まりました。「始まり」には、必ず希望と不安とがあります。そういう私たちに対して、今朝の聖書の言葉は、大きな励ましだと思いませんか。「実を結ぶのはあれかこれか、それとも両方なのか、わからない。だからこそ、朝、種を蒔き、夜にもその手を休めるな。必ずどの種からか、神様は豊かな実を生み出して下さるのだから。」
今は実りの秋。春に蒔いたものの収穫の時です。授業を中心に取り組んできた日々の学習の成果が、前期という一つの区切りの結果として、皆さんの手に戻ってくる日です。
成績はあくまでも、学習の到達度の評価です。授業の内容が理解できているかどうかの評価ですから、これは、真摯に受け止めねばなりません。しかし、あんなに一所懸命やったのに、期待していた評価でなく、がっかりした人もいるでしょう。
しかし、あなたが日々積み重ねてきたこと、努力してきたことは、確実にあなたの身についているのです。残念ながら評価という形では表れなかったかもしれないけれど、やり続けることです。種を蒔き続けることです。いつか必ず、成果が出てくるのですから。芽の出る時期はそれぞれ違いますが、神様は必ずいつか、何らかの形で実を結ばせてくださいます。そのことを信じて、希望をもって励みましょう。
10月末からは、生徒会主催合唱コンクール、創立110周年を祝う記念式典、高校式典の中では今年神様に召された方々を覚えて「追悼礼拝」、その後には記念祭と続きます。一つひとつの行事にも一所懸命に取り組むことによって、あなたの中のいろいろな力が引き出され、あなたが成長できる機会でもあるのです。
今は手を休めずに、今という時を大切に、それぞれの課題に取り組み続けましょう。今日から始まる後期、今朝の聖書の言葉を心に留めながら、1日1日を大切に、あなたの種を蒔き続けてください。

校長 田部井 道子

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