「真夜中の出来事」(学校だより「銀杏」第72号より)

 真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。 突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。 目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。 パウロは大声で叫んだ。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」 看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、 二人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」 二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」 そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。 まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。 この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。
(使徒言行録16章25節~34節)

新入生のみなさんご入学おめでとうございます。保護者の方々はじめ、御来校の皆様に心よりお慶びを申し上げます。
中学生までの義務教育を終えられ、新たな思いでこの場に集った生徒さんが多いことだろうと思います。なかには中学時代と同じキャンパスなので代わり映えがしないと思われる生徒もおられるかもしれません。
わたしは新たな思いでこの場に立っております。最初ですので、少し自己紹介をさせていただきます。本年4月1日をもちまして第9代校長田部井道子先生の任を引き継ぎ、本校の校長職を拝命致しました。大変光栄ある職であると同時に、その重責ゆえに身の引き締まる思いでいます。
今から52年前のことです。わたしは聖学院中学校に入学させていただきました。人生の大事なそしてかけがえの無い6年間をこの地で過ごすことになったのです。やがて大学を卒業し、神学大学へ進みました。伝道師として大宮時代を過ごし、牧師として北陸で10年間開拓伝道をさせていただきました。女学校との出会いはその頃になります。女子聖学院と同じキリスト教を標榜する北陸学院で非常勤講師を務めさせて頂きました。その後、英国での学びを経て北海道の酪農学園大学へ招聘され、15年の歳月を過ごしました。そして、今から9年前に母校である聖学院中学校高等学校の校長としてお招きを受けた次第です。一期5年を終えて聖学院副院長を拝命しました。キリスト教センター長、児童学科チャプレン、大学附属みどり幼稚園長代行等貴重な職務を与えられてきました。馬齢を重ねて来た身ではありますが、これらの経験を生かしつつ聖学院副院長職と共に女子聖学院の校長職を全う出来ればと願っています。
不安はありませんと言えば嘘になります。この機会にわたしは初代校長バーサ・F・クローソン先生の伝記本を読みました。今から111年前の11月1日女子聖学院は築地でスタートしました。たった10人の生徒からの始まりです。先生は将来を案じて本国アメリカに手紙を送った様子も書かれていました。返事には「イエス様も12人のお弟子さんから始まったのですから大丈夫ですよ」とありました。この時から遠大な希望を持ちつつ大切な一人ひとりに向き合う教育が始まり今日に至ったのです。
新入生のみなさんも様々な不安の中にあるかもしれません。先ほどチャプレンの先生に読んで頂いた聖書の冒頭には「真夜中ごろ」と書かれていました。キリスト教がはじめてヨーロッパに伝えられた頃の話です。伝道者パウロとシラスは迫害を受け牢屋に捉えられ鎖に繋がれてしまいます。絶望と思えるような中にあっても、彼らは讃美を歌い、祈っていたと書かれています。すると突然地震が起こり戸口は開き、鎖も解けてしまったのです。看守は皆逃げてしまったと思い自害しようとします。パウロとシラスはそこから逃げようとはしませんでした。看守はびっくりしました。日頃からパウロたちの話を聞いていたのでしょう。看守は福音を受け入れ、そして家族も救われ皆で喜んだのです。
牢屋とは何を表しているのでしょうか。そして、鎖とは何でしょうか。わたくしどもの生活には、何かに捕われ、何かに縛られているということが多々あるのでは無いでしょうか。大学入試、将来のこと、家族のこと、健康のこと、部活、友人関係等数えればきりがないかもしれません。眠れない真夜中を経験することもあるでしょう。そのような中にあっても、神を讃美し祈ることが出来るならば必ずそれらのことから解放されるに違いありません。そこから逃げ出すことではありません。「主イエスを信じなさい。」とパウロは言いました。この言葉はあらゆる時に強い言葉として響いてきます。悲しみの日にわたくしどもを慰めてくれる言葉です。怒りの日に、その怒る心を鎮めさせ、人を恨む心を取り除いてくれる言葉です。そして、わたくしどもが有頂天になるような喜びの中にあるとき、その喜びをまちがいなく受けとることの出来る言葉です。それに続く言葉は「そうすれば、あなたも家族も救われます」と言われました。わたくしどもの生活は激動の日々の連続です。そのような生活の中にあって、自分に命を確信し、望みを信じ、何が起こっても、その生活に拠り所を持っている生活をすることが出来ることを教えてくれています。
ここに新たな日を迎え、新入生のみなさんはじめ、ご家族お一人ひとりに神様の祝福を祈りつつ校長の式辞とさせていただきます。
本日は誠におめでとうございました。

校長 山口 博

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