「朽ちない冠」(学校だより「銀杏」第74号より)

 「あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。 競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。 だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。 むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。」
(コリントの信徒への手紙一9章 24節−27節)

 伝統の女子聖学院運動会が開催されました。
校長1年目のわたくしは、聞きしに勝る情熱空間を過ごしました。と同時に、ある感慨もよみがえりました。会場は国立代々木第一体育館です。周知のように1964年に東京オリンピックが開催された会場です。当時を知るものとして昔に味わった感動を思い出したのです。女子聖学院の運動会はそれに勝るとも劣らない魂の震えを与えてくれました。生徒達の真摯に取り組む態度と真剣なまなざしが、見る者の心を動かしたのです。観覧席を埋めた保護者や関係者の応援も熱がこもっていました。まさに女子聖学院が渾然一体となった一日と言えるでしょう。
 スローガンは[Spirit]でした。「実行委員会だより」によりますと、三つの意味が込められています。①運動会という伝統を受け継ぐ「心」を持つ。②運動会に向けての「精神」を互いに高めあう。③昨年度のスローガン「道」に続いて一人ひとりの「想い」をのせていく。いずれも実行委員の意気込みを感じます。わたしは聖書のことばに照らし合わせる習性がありますので、[Spirit]は旧約聖書の人を生かし、回復させる神の「息」としての「ルーアッハ」と新約聖書の「風」と「聖霊」をあらわす「プニューマ」を連想させたりしていました。いずれにしましても[JSG Spirit]は健在なり。と、誰もが感じたに違いありません。
 競技の採点結果は、青組の優勝でした。勝って涙。負けて涙。皆が真剣だったからこそ流した涙ではないでしょうか。最後には「おめでとう」と皆で健闘を讃えあうことができました。今は昔、オリンピックでIOC会長のクーベルタンが語ったことばを思い出す人は少なくなりました。「このオリンピックで重要なことは、勝利することより、むしろ参加することであろう」。これは教会の礼拝で語られたメッセージだと言われています。それをIOC会長のクーベルタンがとりあげ、次のように述べました。「勝つことではなく、参加することに意義があるとは、至言である。人生において重要なことは、成功することではなく、努力することである。根本的なことは、征服したかどうかにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある。」最近では時代遅れの死語になったことばかも知れません。結果のためには手段を選ばないのが昨今のやり方だからです。薬物に依存するドーピング問題は後を絶ちません。スポーツに限りません。結果がすべてなら何とも寂しい人生になります。なぜならそれらはすべて朽ち果てる冠だからです。それを得たとしても人を見下した空しい笑いがあるに過ぎません。
 朽ちない冠こそわたくしどもが目指すゴールです。それはわたくしどものすべてをご存知の主イエス・キリストの父なる神様が与えて下さる冠です。青春の日々に流した汗と涙は意義深いものがあります。そして、次のゴールを目指し、希望を失わない人にこそ与えられる朽ちない冠です。

校長 山口 博

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